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御召織発祥の地にて、後世に残せる事、今しか語れない事 日本の織物・着物文化を次世代に伝える! 森秀五代目 長谷川 博紀
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2008年05月27日(火)更新
後世に残せるものは残したい!でも、どうやって?
当社では、織物産業に関わったものとして、また、一過性ではあったが、かなり利益を享受した会社として、後世に日本の織物技術・文化、そしてそれに関連する道具・建物を残し、後世に伝えていく為に織物参考館を運営している。
当たり前の事だが、博物館運営は収益性が無い。短期的にブームがあったり、一部の大規模なスポンサー(または、公的資金)が受けられている施設は磐石なのかもしれないが、長期的な展望で見れば、殆どの博物館が単体での収益性を確保することは容易ではないと考えます。
『そんな事は無い!コンテンツを充実して、アイデアをひねれば収益性はある!』
と、もしお考えの方が居れば、試してみてください。
銀行に行って、『今度、新規事業で博物館を作るので、お金を貸してください。』
と、頼んでみてください、かなりの高確率で断られると思います。
では、それでも何故当社は民間でそれを行うのか、企業が行える社会貢献としての位置づけでもあり、その分野でお世話になり、利益を得た事がある責任でもあり、何より、これを残さなければならないと信じぬく信念にあると思います。
大企業のPR的な位置づけであれば、運営資金も潤沢ですが、小さな企業がその資金を母体から賄っていくのは本当に大変な事です。
非常にありがたい事に、公的な機関が趣旨を理解して、設立・運営を継続できている理想的なケースも見られます。
しかし、その反面、その趣旨が忘れ去られるケースも結構あります。
民間で運営していたものを継承したものの、ソフト面の運営が賄えず自然消滅するケース。
一部で盛り上がり、大々的に資金を投入したものの、完全に赤字運営になり、世論の批判対象となり閉鎖するケース。
開館する前から、収益見込みが無く、お披露目も出来ないケース。
などありますが、もし公的資金で運営するには、収益性が無くても世論・市民の意見が賛同していなければ成立しないということになります。
そして、何よりも展示ではなく、その文化を生きたまま保存すること重要だと考えます。(その理念から、織物博物館ではなく、織物参考館と名称)
織物道具を展示しているだけでは、その技術・文化を継承することは出来ないし、なにより来館者がつまらないと感じるはずです。
そこで、作り続けられ、発信され続けなければその文化は無くなってしまったも同然です。
つまり、そのニッチな分野に携わった者が、運営・人的な部分を担当しなければ成立しないのです。補助的に公的な応援があることは良いことだと思いますが、全面的になれば、運営の権利が無くなり、継続的な指揮は取れないでしょう。
お蔭様で、当館も開館から30年をもうすぐ迎えます。
紆余曲折ありましたが、やっぱり、来館者の満足した笑顔・子供達の歓声・そして励まし、応援のお言葉が何よりの励みになり、運営側の原動力となっています。
長々となりましたが、目を見張るようなオブジェも、おしゃれなティーラウンジも、ガラス張りの休憩室もありませんが、産業・技術が根付いたそのままの場所で、長期間使われている設備・建物、現役の工場とともに、生きている織物を見学できる。織物参考館“紫”に、気軽にお出かけください。
観光気分で結構です。趣旨はまじめですが『面白かった!』と言わせてみせます。
来館者満足度には自身があります。
織物参考館“紫”ゆかり http://www.morihide.co.jp/senkyakubanrai/
森秀織物株式会社 http://www.morihide.co.jp/
2008年05月27日(火)更新
ブランコ作ってみました!でも、職業病が出てしまいました。
自宅の庭に樹齢何十年の杏子の木があり、大人がぶら下がっても大丈夫なほど枝が立派です。
そこで、妻からの提案で、子供用のブランコを作ろう!という提案があり、早速ホームセンターに程度の良いロープ・材料を物色しに行きました。
大きなホームセンターなので、縄・ロープはどこにあるのかと考え、建築用・農業用・インテリアなどなど検討しましたが、結局一番丈夫で、値段も手頃そうな資材置き場のロープから選択する事にしました。
と、何種類かあるロープを見ているうちに職業病が出てきました。
『種類によって値段が3倍ぐらいの開きがあるし、触感・堅牢度・縛り易さも全然違う!』
『値段はひとまず考えず、用途に最適なものを探し出そう!』
『ブランコ運動を想定すると、丈夫なだけでなく、程よい伸縮性も必要では?』
『天然素材に拘りたいところだが、用途から長繊維でなければならない!』
『雨風にさらされるので、水分をあまり含んではいけないが、はじく素材はすべって危険かも、それに、結び目が解けるかも・・・』
と、売り場に座り込み多分30分ぐらい考えて選びだしたのが、ビニロン素材の12mmのロープでした。
風合いは、綿素材より少々劣るものの、日光堅牢度・水濡れに対する強度・引っ張りに対する強度はぴか一のはず、但し、値段は高かったので少々迷いましたが、安物買いのなんとか・・・だけは避けたいので購入いたしました。
ナイロン・エステル・麻素材など色々ありましたが、今回の目的にはぴったりのものが買えたと大満足で帰宅し、今度は、どのように結び目を作れば、ずれにくく、修正が容易な結び目になるか検討しながら完成しました。
子供満足でブランコに乗る!何故か、ハイテンションで木に登った息子。
2008年05月27日(火)更新
織物の組織・日本の着物
織物とは、編みとは違い、長さを揃えた経糸を整えて、そこに緯糸を色々な組織で織り込んだものです。
主に、熱帯から温暖な地域に織物文化が広がっており、寒冷地ではニット文化が中心となります。
基本的な織り組織は3つあり、平織り・綾織・朱子織があります。
平織りは、経糸と緯糸が一点毎に交差した、単純な組織です。安いハンカチ生地などに見られ、細い糸であれば透け感もあります。ただし、摩擦に強いのですが、糸が太ければ硬い風合いになります。(涼感があります。)
綾織りは、あらかじめ設計した数の経糸を飛ばして、緯糸を数本以上織り込んでいくもので織りあがった生地を見ると斜めに組織点がはっきりと識別できます。
平織りより、風合いがあり、しなやかな生地になります。(デニム生地など)
朱子織とは、専用の織機(ドビー・ジャガード)により、組織点を飛ばし経糸を露出しまたは、緯糸を数本以上織りこんで、光沢感とドレープを表現できる生地になります。
シルク製品・和装など、高級な生地に使用されています。
皆さんも、お家に虫眼鏡などありましたら、洋服の組織がどうなっているのか、観察してみてください。皆さんの高級ネクタイは朱子織になってますか?
スーツ・Yシャツでも、ブランド、価格帯によって生地が使い分けられています。
色・デザインの見た目だけでなく、機能性・価格にも影響する生地も、気にしてみては如何でしょうか?
驚いた事に、全く伸縮性のない平織りの生地でパンツが販売されているのを発見した事もあります。あまりに安かったので、冷やかし半分に購入して試してみましたが、想像通り最悪なハキゴコチでした。何故この製品は安いのか?自分の使用する環境・気候に適しているかという視点も面白いですよ。
日本の宣伝を兼ねて付け加えると、この国で作られた天然繊維で、製作された織物生地が一番この国の気候風土に適していると思います。そうです、着物です、四季があり、多湿なこの国で冷暖房設備もなく暮らしてきた先人の知恵の結晶がわが国の着物です。残念ながら、ライフスタイルの変化で少量生産となり高級品になりましたが、夏物(クールビズ?)もあり、季節に合わせて着こなす事もできます。
たまには、着物でお出かけなんて如何ですか?女性だけでなく、男性の着物姿もかっこいいですよ!
このまま、原油高が続き、または原油が枯渇してきて、自然環境では温暖化が止まらず、日本の国際間での経済力が弱くなり、各種の原材料がうまく輸入できなくなってきた30年後の日本で、普段着は着物を着ているかもしれませんね、自給自足で繊維製品を作るとそうなります。天然繊維で(絹・綿・獣毛・植物性繊維)、エコロジー(大事にすれば何十年も着れます)ですし、デザイン(洗練かつ斬新で飽きません)も古びず、普段着で販売すれば安くなるので最高ですね。
因みに、組織が細かくてよく解らず、織物か編み物かも解らないときは、両手で生地を軽くつまんで引っ張ってみてください。感単に伸びるのが編み物。弱い力では伸びないのが織物です。
次回は、シルク・正絹のお話です。
2008年05月27日(火)更新
綿花 発芽2日目 次々と
2008年05月26日(月)更新
桐生織物・桐生の歴史のついて
本日、何故かお問い合わせが多かった、桐生織・桐生の歴史についてです。
そもそも、桐生織の発祥については正確には解っていません。
白滝姫伝説と呼ばれるものがありますが、ロマンティックな素晴らしい物語ですが、創作の域をでません。
これだけ、産地を形成し歴史も長い(1,200~1,300年間)のですから、何か根幹を語れる文献・証拠がありそうですが、殆どありません。
全く残念ですが、そのことが桐生という地域・歴史そのものを象徴しているような気がします。
確実な証拠とすれば、仁田山紬注文書や、奈良の東大寺大仏開眼式での文献、また、新しい所ですと関が原合戦時の徳川家康に献上するなどの外部での文献・証拠はあるものの、地元にはありません。
城下町でもなく、また、農民のように定住型でも無い、天領地(当時は、幕府領地)
であり、また、移住者も多数いた流動的な土地柄であり。
文献・書物などを体系的に保存した家・人がいなかったことだと思います。
そして、その桐生人らしい特性は、今でも残っているような気がします。
桐生へ移り住む人々に対して、とても寛容で受け入れ易く、私もそうなのかもしれませんが、非常に珍しい存在として見ながらも、歓迎してくれます。
全国を転々と渡り歩いてきた人が、桐生に立ち寄り、たちまち気に入って定住してしましった。という話も良く聞きます。
それだけ、住み易く、人々も寛容(一度も戦災に遭っていないから?)で、産業もあった町なのです。
私はこの自然に囲まれ、織物とともに歩んできたきりゅうが大好きです。
歴史文献が少ないのは、少々残念ですが。
戦乱に巻き込まれることも殆どなく、年貢を納めず、代わりに絹を収める産業を形成してきた地で、赤城の山では養蚕の生産背景があり・そして何よりも江戸幕府と良好な関係が続いた事が繁栄の基盤になったのでしょう。
山紫水明のまちで、育まれてきたのが桐生織物です。
次回に続く。
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