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御召織発祥の地にて、後世に残せる事、今しか語れない事 日本の織物・着物文化を次世代に伝える! 森秀五代目 長谷川 博紀
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2008年05月26日(月)更新
桐生織物・桐生の歴史のついて
本日、何故かお問い合わせが多かった、桐生織・桐生の歴史についてです。
そもそも、桐生織の発祥については正確には解っていません。
白滝姫伝説と呼ばれるものがありますが、ロマンティックな素晴らしい物語ですが、創作の域をでません。
これだけ、産地を形成し歴史も長い(1,200~1,300年間)のですから、何か根幹を語れる文献・証拠がありそうですが、殆どありません。
全く残念ですが、そのことが桐生という地域・歴史そのものを象徴しているような気がします。
確実な証拠とすれば、仁田山紬注文書や、奈良の東大寺大仏開眼式での文献、また、新しい所ですと関が原合戦時の徳川家康に献上するなどの外部での文献・証拠はあるものの、地元にはありません。
城下町でもなく、また、農民のように定住型でも無い、天領地(当時は、幕府領地)
であり、また、移住者も多数いた流動的な土地柄であり。
文献・書物などを体系的に保存した家・人がいなかったことだと思います。
そして、その桐生人らしい特性は、今でも残っているような気がします。
桐生へ移り住む人々に対して、とても寛容で受け入れ易く、私もそうなのかもしれませんが、非常に珍しい存在として見ながらも、歓迎してくれます。
全国を転々と渡り歩いてきた人が、桐生に立ち寄り、たちまち気に入って定住してしましった。という話も良く聞きます。
それだけ、住み易く、人々も寛容(一度も戦災に遭っていないから?)で、産業もあった町なのです。
私はこの自然に囲まれ、織物とともに歩んできたきりゅうが大好きです。
歴史文献が少ないのは、少々残念ですが。
戦乱に巻き込まれることも殆どなく、年貢を納めず、代わりに絹を収める産業を形成してきた地で、赤城の山では養蚕の生産背景があり・そして何よりも江戸幕府と良好な関係が続いた事が繁栄の基盤になったのでしょう。
山紫水明のまちで、育まれてきたのが桐生織物です。
次回に続く。
2008年05月26日(月)更新
織物参考館 綿花4日で発芽! 早い。
驚きです、織物参考館
で先週種まきした綿花の種が早くも発芽しました。
しかも、3種類の中で一番期待していなかった3年物が一番にです。
これは、織物参考館“紫”で展示用として、収穫せずに綿がついた状態で3年以上置いておいたもので、昨年収穫分が少なかったので、追加分というか、ついでにというか、余り期待せずに蒔いたものです。
これが、蒔く前の状態です。
綿も付いた状態でしたが、突き破って発芽してきたようです。逞しい!
こちらにも、3年物(記憶が定かでないので、5年ぐらいかも)が顔をだしてます。
非常に可愛らしい大きさです。
虫に舐められるとすぐに枯れてしまいますので、注意深く見守らなければなりません。
それにしても、昨年収穫分はどうしたのか?元気が無かったのか、まだこれからだとは思うのですが、少々心配です。
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